無限に練りをしまつ

ぽやしみ~

HTC10についてのぼやき

 私は、2013年末に投げ売られていたHTL22に触れて以来HTCのスマートフォンが特に好きになった。その前はシャープのSHL21という出来の悪いゴミを使っていたがHTL22を使いスマートフォンの世界に夢と希望を感じ、身を投じてみるかという決意のもとに今流行りの格安ジャンクマンのようなところから始め、大手メーカーのスマートフォンはそれなりに使い倒してきた自負はある。特にHTC端末をたくさん使ってきたというわけでもないが、HTC One、One Max、One M8、Butterfly3と毎年1台は必ず買うようにしている。そして先日HTCの最新作である10を購入した。

 私はHTCオタクという程ではないが、HTCのスマートフォンの高級さが好きである。かつては高級なフィーリングを使用者にもたらすという意味では林檎を除けばHTCのドル箱といったフシがあり、Androidスマートフォンにおいては最も所有欲を満たしてくれるものであった。それは外装云々だけではなく、senseというHTC独自のUXを含めてである。

 HTC senseの優れている点はいくつかあるが、特に推しておきたいのは素のAndroid比でかなり重度にカスタムしてあるのにも関わらず、動作の快適性を損なわない点である。またUX全体を通しての統一感と多機能性、ユーザーによるカスタマイズが幅広く行えるところも美点であった。特に2015年のsense7はHTCのUXの集大成と言って良いだろう。

 では10に載っている最新のsenseはどうなのか?実は10からはsenseバージョンの記述が削除されている。しかし、One A9からの『Googleとの協力でアプリの重複を減らし、UXを改善しOSアップデートの提供を迅速に行う』という方針に従い、それを深化させたsenseであることは間違いない。通知領域やトグル周り、AOSPルックな設定画面、プリインストールアプリに占める高いGoogleアプリ率などからこれまでのsense7とは一線を画す。動作に関してはハードウエア性能向上やAndroid OS自効率化、これまでのSenseとは段違いに俊敏で快適であることは間違いない。

 しかし、そこには大きな問題がある。前述した『Googleとの協力』と「次期NexusデバイスのベンダーにHTCが選定された」ということなどから、Googleとの間で何らかの’’話し合い’’が有ったことは間違いない。そこでどのような話し合いが行われたかは私たちは想像する事しか出来ないが、使い勝手の良かったHTCお手製の音楽アプリがGoogle Play Musicに置き換えられた事、編集機能の多さに定評があるHTCお手製のギャラリーアプリがGoogleフォトに置き換えられたことに関してはどうも納得が行かない。どうして優れた自社アプリをわざわざ下位互換のものに置き換えるのか?

  もしかしたら、これはHTCがスマートフォンを作り続けるために仕方のない選択肢だったのかもしれないが、HTCスマートフォンをわざわざ選んでくれる世界中のファンボーイ/ファンガールに対する重大な裏切り行為との見方もできる。senseのGoogle化が今後一層進むとしたら、旧来からのファンを失いかねない。(本当のファンは盲目的なのでそれでも買い続けるであろうが)
  私個人としては複雑な気持ちである。カネに物を言わせてアプリの重複を微じんも気にせずコテコテの独自UXをゴリ押しするサムなんとかというメーカーと崖っぷちでで踏ん張って生き残るために自分を押し殺すHTCという対照的な構図がどうしても目に浮かぶ。10のことをこれまでのHTCスマートフォンのように好きになりたい、でも今のところ完全には好きになれないといったところである。
  M9の時にHTCは『ポルシェをデザインの参考にした』という趣旨のことを述べていた。それは旧来からの長所を引き継ぎつつ、それに新しい洗練さを加えていくという意味が込められているであろう。そのポルシェも911の997型から991型へと変わった時に大きな波紋を産んだ。それと同じようにHTCもまた大きな変化の途上であることは間違いないと言えるであろう。

 頑張れHTC。